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【瓠洲独言】平成25年 誕生日を迎えて

今日は自分の誕生日です。
ここまで命をつないでくれた自然や神仏に感謝を捧げる為、ここ数年、この日は 神社で神恩感謝のご祈祷をあげてもらいます。
美しい景色を見せて頂けたり、大難が小難で済んで大事に至らなかった事や命拾いした事など、実感として味わわせて頂いております。

そして、御縁あって繋がり心身共に支えて頂いている皆様に深い感謝の気持ちを込めて、神道の形式を借りてご祈祷させて下さい。
いつも本当に有難うございます。
今日も元気に生きていられるのは、皆様や自然のお陰です。

自分が生まれたのはご先祖様と両親のお陰。
今日まで生きてこれたのは自然とその恵みの犠牲のお陰。
今日まで人生を乗り切ってこれたのは周りの皆さんのお陰。
そう思えば、三十数年生きてこれた今日は、感謝に身を捧げる日。

この一年を振り返りますと、積み重ねたものや育ててきた物が失われていく経験をいたしました。
また、自動車で危うく命を落としそうにもなりました。
普通に考えれば、失うもの多き年とも思えますが、今となればむしろ大難が小難で済まされ、新しい境地へ足を踏み入れ、新しい御縁にも巡り会えた一年だったと振り返れます。

「喪失」という経験は、喪失するに至った不徳の自覚を促し、またそれが全体の幸せに向けて必要なプロセスで、執着し深追いすることは人生を後退させる行いであることを学べた気がします。
兆しがあってもそれに気が付かず、善と思って進んだことが、全体にとって善ではなかった。

しかし、それで終わってしまわないから人生は面白いのです。
失っても、失ったからこそ得る。欠ければこそ満ちる。そういう現象があります。
失った物と現在を見比べて、何ら後退はしておらず、むしろ飛躍的に進化している。
全体にとっても、きっと自分の手を離れたことで進化しているのだと思います。

自分にできることはいつでも変わりません。喪失した時と同じように、その時の最善を選ぶことです。
それが全体にとって誤っていたり、環境の変化の兆しであれば、また整理されてしまうのでしょう。
そして、そこからまた色々な事を学ばせていただく。
「成長」とは「失敗しなくなることではなく、そこから反省して学び取る能力も指す言葉」と思えるようになりました。
むしろ「失敗はしていない」という認識こそが、取り返しのつかない道を進んでいる可能性があると思います。


命を失いかける危険にも遭いました。
仕事の帰路、真夜中に雪と氷で凍結した道路を走っていました。
急にハンドルが効かなくなり、自動車の進路は意志とは無関係に左右にくねって縁石を乗り越えました。
ガードレールにぶつかる瞬間「死ぬのか」と思いましたが、怖くはありませんでした。
人間遅かれ早かれ死にます。その時が思ったよりも早かっただけ、という気持ちだったからです。
結果、体は無傷で、対向車も居なかったために誰も巻き込むこと無く、ガードレールを破って5~6メートル下の地面かその先にある民家へ突っ込む事もなく、車のフロントを損傷する程度で済んでしまいました。
全てが悪い方へ傾いていたら、自らが死んでなお生者に迷惑をかけていたかもしれません。
「大難が小難で済まされた」と言いますが、まさにそれだと痛感しました。
それが運なのか守護霊なのか神仏なのかご先祖様なのか自然界の何かなのか…いずれかが影響を与えたのかは解りません。
ですが、こうして無事生きて誕生日を迎えられましたし、これまでも同じように大難が小難で済んだ経験を幾つもしてきました。
なので、これまで同様に、先ほど例を上げた全てのものを統一化したものに対して感謝を捧げたいと思います。


学びの対象も変化しました。
これまでは四書五経や人々の残した言葉から学びを得て、それを活学するというスタンスでした。
それが昨年から変化して、向きあう対象が自然に移行したのです。
何故そうなったかといえば、それ自体も自然の成り行きだった感じがします。
湧水や森や山。そういう場所に身を置いて、自分が「自然の一部」であることの自覚を得ました。
それから、言語化されていないのですが、自然を眺める中で気付く様々な学び。
その学びが人間社会で直接役立つのかといえば、そうではありません。
ですが、もっと物事の根本に迫るような学びであり、その応用をもってすれば、人間社会にも通用しうるものだと思います。
また、その学びに気付く五感と第六感の錬磨。
手っ取り早い表現をすると、現代人的な学習ではなくて、原始時代の人間に近づく状態が、今の学びのテーマのように思います。
そして、それにともなって出会う同じ方向を向いている人々。
絵の道に生きる方、ヨガのインストラクターをされている方、行なっていることは違いますが、同じ物を感じ取って暮らされているように伺えます。
彼(女)らの言葉や表現の中には、自分が自然の中で気がついた気づきと同じ事が沢山含まれています。
心霊学に云う「同じステージの人との出会い」と「環境の変化」という説明がしっくりくる気がします。
その学んだことを、以前とは逆に易経(経書)や老子、安岡正篤先生の書籍の中に見つけていくスタンスとなりました。
ということで、教典・師から学ぶのではなく、自然が師となった感じで、その学びを先に学んだ人の書籍から、同じ表現や体験見つけ出す過程になっています。
まぁ、それだけ過去に読んだ時点で気が付かなかったわけで、彼らの言いたいことを理解できていなかったと反省しております。(汗)


今年も様々な学びと変化が待っていると思います。
ブログを御覧の皆様にも善き一年となりますよう祈念しております。

いつも有難うございます。

瓠洲
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genre : 学問・文化・芸術

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