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もう一人の自分 松原泰道

 私達の心中は、欲望と感情のままに揺れ動く日常的自我と、それに呼びかける本質的自己との二人が住んでいる「同行二人」です。ところが、大切な本質的な自己を見失い、日常的な自我だけはほんとうの自分だと思いこんでしまっているのです。なお悪いことに、それに固執して、つまり執着して「自我中毒」にかかっているため、本質の自己の尊さに気づくことなど思いもよりません。

 まして、他の尊さがわかるはずもなく、真の自由など得られるわけないのです。ペアの片方である本質的自己を心の奥深くに埋没させて、「孤独」の一人旅をしているのが現実です。病むはずもない知恵が病んでいるような状態に置かれているのです。

 自我がみにくく、忌むべき暴力を持っていることに、我ながら情けない思いは誰にもありますが、この自我にたえず呼びかけてくれる、自分の中のもう一人の自分、本質(本来といってもいい)的な自分  本当の自分にめざめてこそ、つまり知恵を開発してこそ、「二人の私」の対話が可能になります。この対話が、数多く交わされる人の人生の旅はしあわせであり、この人こそ自分の中に宿る人間の尊厳性にめざめた知恵の人でもあります。


般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫)

このもう一人の自分の声が聞こえるようになった時、様々な哲学・宗教書に書かれているそれの存在を実感した。
聞こえている内はそれに対して受け入れるだけであったが、心が曇ったり執着などに固執すると聞こえなくなった。
そして、その間に行うことは裏目に出て、何事もまとまらなくなっていった。
それが破滅し手放してから、一時感性が研ぎ澄まされた様になって、自然の中に身を置いて心静かに風を感じて精神統一をするようになった。
すると、またもう一人の声が聞こえてくるようになってきた。

これは仏教徒に限らず、人間に本来備わっている能力で、それの開発と維持をしていく必要があるものなのだろう。

theme : ことば
genre : 学問・文化・芸術

tag : 仏教 般若心経 知恵

comment

Secret

こんにちは(*^-^*)
質問です。もう一人の本質的自己とは、どういうものなのでしょう?
頭の中で、ブレーキを掛けてくれたり、それで良いのか?と問うてくれる自分の事ですか?

みゆきさんへ

こんにちは。コメント有難うございます!

本質的自己というものは自然物の人間として全きを得た発想をするもので、執着から離れ全体を統一する、母性の現れの様な存在だと思います。

簡単な例を挙げると…
「今日は◯◯が食べたいから◯◯を作ろう」というのと「最近、パートナーは目の疲れを訴えているから、眼精疲労に効果のある食材で食事を作ろう」というのでは、「同じ食事を作る」という目的でも発想が違います。
このような観点で、自分の欲求だけではなく、全体を考えた母性的な発想をする自己の事を指します。

「頭のなかでブレーキをかける」というのでも、その目的が先程のようであったり、高尚であれば本質的自己だと思います。
「それで良いのか?」というのは、おそらく「後ろめたさ」でしょうから、その発生源が「世間的な恥」ではなく「人としての道に外れる」「全体のためにならない」といったものなら本質的自己ではないでしょうか。

個人的な体験ですと「声として聞こえること」があったり、「自分では思いつかなかった気づき」として頭に降りてくることがあります。
現れ方は個人差があると思いますけど、そんな感じではないかと思います。

著者の方の考えている解釈に比べ浅いかもしれませんが、自分の体験的な説明をさせて頂きました。m(_ _)m
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