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短所と長所は一つのもの 『安岡正篤 人生は難題克服に味がある』より

 「陽」には、活動し、発展し、分化し、繁栄するという長所に即して、前述のような短所もある。
長所は必ず短所でもあります。
 しかし長所短所が別々にあると思ったら、大間違いです。
現実は、必ず長所短所がある。
長所短所」「短所長所」で、学問修養するというのは「短所を長所にする」ことです。
 だから下手な先生、愚かな教育者にかかると、人間を台なしにされる。
というのは「長所」と「短所」を別々に考えて、往々「角を矯めて牛を殺す」からでっす。
 例えば、ここにウソを付くことのうまい傾向のある子供がいるとします。
この子供をよく教育すると、才気煥発、機略縦横といったような長所のある人間に変わっていく。
あるいは機転が利いて、ものごとの企画に富むような人間があるとする。
これを堕落させると、とんでもない嘘つきになる。
 これらは元来一つのものなのです。だから悪党が修養すると菩薩になり、「英雄頭をめぐらせば」神仙にもなるが、悪党にもなる。
 一番悲しいのは平々凡々で、悪もなさず、善もまたなさず、「沈香も焚かず、屁もひらず」。
こんな退屈なものはありません。


安岡正篤―人生は難題克服に味がある

10年ほど前に安岡先生のこの考え方を読んだ時に、吉田松陰先生の言っていた、人間はその特性(徳性)のままによりよく育てることが大切という考えをよく分かった気がした。
それ以来、自分の「人間の観方」と「関わり方・育て方」の基礎になった。
この立場に立つと、短所があっても責めず、長所があっても奢らず、それが自分自身であっても他人であっても、善く作用する。

この10年で自分を変えようと努力することも確かにあった。
でも、どれだけ苦しんで変わろうと思っても、変わらないものは絶対にあることも知った。
変わることで自己解離を起こすような内容は、そもそも変わろうとする事自体に無理があって、自分の精神に足かせをするようなことだ。

「或る人に受け入れてもらえない自分であったとしても、これまで受け入れて愛してくれた人々がいる。だから、今の自分らしさに磨きをかけて、より己に成ることしか道はないのだ。自分を知ってくれている人々のために、さらに愛してもらえるように、さらに助けられるように、腹に抱えた石(意志)を磨くことが進む道だ。」という結論に至っている。

また、「今、自分の目の前にいる相手の長所なり短所は、その人をよく表している特徴だ。それを活かすには?それを善用するには?その大前提に、現状の成長度にかかわらず、相手の特徴を理解して受け入れる。認める。それが、安岡先生や吉田松陰先生の仰っていることなんではないだろうか。」と考えている。

自分は教育者ではないけれど、関わる人々の中にどうやっても形の変わらない石を見出して、それを光沢が出るように、また世間の人々にも輝きが届くように、そういうことができる特性を磨きたいと思っている。

そもそもの自己の本質を見失っていて、最近まで「現代の伯楽になりたい」という志をも忘れていた。
悪党を本人も気づかぬ内に世間の役立つように力を発揮させ、英雄も野望に走らせずに弱き者や仁義の為に汗を流してもらうようにする。
純粋な人にはその美しさを心折れぬように支え世に顕させ、賢い人にはそれ故に身を滅ぼさせないように傍で見守り、どんな状況であろうともその実力を信じ続ける。

この10年前に立てた志を取り戻させてくれたのは人間ではなかった。
自然の中に身をおくことで、徐々に取り戻すことができた。
言葉は発さないが賢き自然は、自分にも解る形で生死の美しさを通じて諭してくれた。

どんな形であれ、人は同じ場所へ戻ってくることはできる。
景色は全く変わっていても、間違いなく、立っている場所は自分の立ち位置なのだ。
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theme : 文明・文化&思想
genre : 学問・文化・芸術

tag : 人間学 安岡正篤 生き方 吉田松陰 長所 短所

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No title

「或る人に受け入れてもらえない自分であったとしても、これまで受け入れて愛してくれた人々がいる。」
何故かふられた時の事を思い出してしまいました(笑)
愛してくれている人に気づかなかったら、現在の自分の居場所はなかったように思います。

幸時さん

ご無沙汰しております。
ブログの更新もご無沙汰してしまっていますが…(汗)

私も同じ状況下でこの言葉に出会いました。
眼の前にいる人・心配してくれた人を見失い、失った縁ばかりに目が行って、灯台下暗しになっていました。

縁が切れる人は、一度距離を置くべきか、共に歩むことのできなかった人。
それにばかり目を奪われると、自分をどんどん追い込んで責めてしまいますし、もっと大切なものを見失いますね。
自然体の自分でいて、それで十分に付き合っていける人こそ、ずっと時間を共にしていける人々なのかもしれません。
自分を偽ったり、周囲の意見などで左右されるような縁は、良縁には育って行かないような気がしています。

幸時さん、共に作った企画。
現在、ゆっくりとではございますが、現実化しつつあります。
完成の日の目を見ると良いのですが…

幸時さんの近況を拝見しましたが、本当に良かったですね…(*´∀`)
陰ながら応援しております。

> 「或る人に受け入れてもらえない自分であったとしても、これまで受け入れて愛してくれた人々がいる。」
> 何故かふられた時の事を思い出してしまいました(笑)
> 愛してくれている人に気づかなかったら、現在の自分の居場所はなかったように思います。
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