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知恵の学問 安岡正篤 安岡正篤一日一言より

知識の学問と知恵の学問では非常に違うのであって、知識の学問は、
我々の理解力・記憶力・判断力・推理力など、つまり悟性の働きによって誰にもひと通りできるものだ。
子供でもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。
その意味では機械的な能力である。

しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて、
われわれの性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくるもっと直感的な人格的な学問を知恵の学問という。

だから、知識の学問より知恵の学問になるほど、生活的・精神的・人格的になってくるのである。

それを深めると、普通で容易に得られない徳に根差した、特の表れである徳恵(「とくけい」あるいは「とくえ」と読む)
という学問になる。これが聖賢の学である。


安岡正篤一日一言―心を養い、生を養う

知恵の学問 = 経験を積み、思索反省を重ねて、われわれの性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくるもっと直感的な人格的な学問

徳恵聖賢の学) = 知恵の学問を深めると、普通で容易に得られない徳に根差した、特の表れ

つまり、知恵の学問を深めることで、徳恵に至る。
徳恵のテキストは「聖賢の学」、つまり、「聖人と賢人。また、知識・人格にすぐれた人物の学問」である。
その形は、経典であったり、その人の人物伝であったり、直に薫陶を受ける場合もある。

安岡正篤先生は、四書五経などの経書にそれを求めたのかもしれない。

どの方法で徳恵を学んでいくか、それは人それぞれ。
人は尊敬できないものや、受け入れられないものから深く・継続的に学ぶことは難しい。

知識の学問を深めることも、実社会を生きていく上では大切な事だが、
知識の学問と知恵の学問の両方を学べば、
体感的・直感的に知識の学問の真理を感じることができるようになると思う。
表面的には別物に見えるのだが、自然の摂理、人間の性理は同じ道筋を辿るものではないだろうか。

井戸に水桶を放れば水底へ落ちる。
守られた境遇で過ごした人間が、突然、何の保証もない境遇に放り出されれば、心の底に沈む。
「支えられていた事物が空間に放り出されると落ちる」この事は、一定の条件下においては事実だ。
ただ、このつながりを理解するには、「井戸に水桶を放る」(知識)と、「保証なき境遇」(知恵)の両方を身につける必要がある。
こういうことがあるから、ことわざや比喩が発達してきたのだろう。
水桶を人間に置き換えることができるからだ。

実生活から知恵と知識を学ぶなら、「知識を知恵に応用する」「知恵を知識に応用する」ことを意識的にしていくことでも、深めることはできると思う。
聖賢の学と共に学べば、より一層、実体験に基づいた学問になると思う。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 人間学 安岡正篤 聖賢 徳恵 知識 知恵

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