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郡奉行・小宮山昌秀 安岡正篤 照心語録より

江戸時代、水戸藩に南郷という貧乏と悪徳の代表的な難郡があったが、
この郡奉行に若き小宮山楓軒昌秀が抜擢された。
彼は十年にしてここを模範的な町村に変え、
転任する時は彼を慕う郡民が沿道に号泣して見送ったという。
教化というものの偉大な例だが、これを思えば政治家が国家を革新することなど、
できないことはないはずだ。


照心語録

小宮山昌秀楓軒(こみやま・まさひでふうけん)
〈(明和元年(一七六四)~天保十一年(一八四〇)〉は、
近世後期の水戸藩の農政家で、学者としても知られている。
寛政十一年(一七九九)十一月、南部の郡奉行にばってきされ、
鹿島郡紅葉村に陣屋をおき、意欲的に勧農殖産政策を進め、
荒廃していた農村の復興に成果をあげた。
楓軒が管轄した村は、当初十四か村、享和二年(一八〇二)に六十八か村に増加し、
鉾田町域では、紅葉村と青柳村がふくまれている。
陣屋は、潮来町と水戸城下を結ぶ街道に面して建てられたが、
文化四年(一八〇七)三月の大火で焼失し 常陸大掾(だいじょう)氏支族持寺氏の城館跡の当地に再建された。
楓軒は農民に勤労や育児を奨励し、領内に医学校や郷校を開設して教育にもつとめた。
文政三年(一八二〇)転勤で水戸に戻る際に、領内の人々は別れを惜しみ海老沢(茨城町)まで見送ったという。
鉾田市教育委員会 記


「教育・徳育は国を変えるのか」という命題に一つの答えを出した人物だと思う。
ただ、何故に安岡正篤先生が、小宮山楓軒先生を取り上げたのか。
小宮山風軒先生は、儒者として学んだ知識を活かして教育を行い、地域の勧農殖産を行った。
これは学問だけでなく、それを活かした「行動を伴った活学」である。
「教化で人を整え、豊かに暮らせる様よく耕す」ではないだろうか。
いくら人格が高まったとしても、その土地で生活が出来なくては、
また人の心は興廃して荒んでしまう。

ここから、「小宮山風軒先生の政治」の、
「領民の荒んだ心を教化して中庸に引き戻す」
「再度治安が悪くならないように、安心して暮らせる街造りを行う」
という二つのポイントが見えてくるのだ。

ここから導かれる政治家像は…
「人一倍、人格と教養を学び、人を導けるように進化する」
「学びを活かし、国民が飢えや苦しみから解放されるように、現状に適した政策を行う」
これではないだろうか。

ただ、これはあくまで内政家としての素質であり、
外交や防衛軍備に関してはまた違った才能が必要になる。

それはさておき、これで水戸を訪れる目的が出来た。
いずれ、小宮山風軒先生の墓所へお参りに行きたいものだ…。
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theme : 文明・文化&思想
genre : 学問・文化・芸術

tag : 小宮山 楓軒 昌秀 政治 安岡正篤

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