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【瓠洲独言】祈りの力・自然とは…?

私の周りの徳深い人々は、この度の地震で様々な立場や思想で祈りやメッセージを発信している。

「世界が平和でありますように」という祈りを毎日している人がいるだろう。
それでも、日本では天災が起こるし、世界には紛争が絶えない。

でも、この現象は祈りが無駄だったと言えるのだろうか。

私は違うと思う。

祈ることは、自身に対しても暗示と確信を深める力を持つだけではなく、
周囲の人にもその念が届き、また、届けたい人にも届いていくと思う。
「何に対して何を祈るのか」それは様々だろう。

ただ、祈る人々を見ていると、この人の真剣な祈りを無駄にはしたくないと思う。
例え、思想や信仰が別の形式をとっていても、同じ人間の行う儀式。
元を正せば同じ道に通じていると思う。だから共感も出来るのだ。

今、沢山の人々が、被災者の方々の一日も早い安心した生活を迎えられるように、
それぞれの立場で自分に出来ることを努力されていると思う。
これは非常に尊い。

心の連鎖、祈りの連鎖、様々な不思議な現象で、今の日本は満ちているかも知れない。

私が縁を感じる「素盞雄尊」という神は、
嵐、疫病などを巻き起こす「荒ぶる神」とされる。
この現象を人々は恐れて、この神を祀るのだ。
「天照大神」は、太陽の神格化であり、穏やかで化育の神である。

この両者は兄弟なのだ。全く性格も素質も違う。
自然は、この両者を包括する力を持っている。

形式上や、経験的に素盞雄尊に縁があると思っている私ではあるが、
大いなる意志(自然?)という存在なのではないかと感じる事もある。

素盞雄神社や氷川神社へお参りに行き、素盞雄様に心の中で語りかけると、
背中に降り注ぐ太陽の光が強くなり、ぽかぽかとしてくる事がよくある。
「意志が通じたのだな」と、勝手に納得しているが…(笑)

自然(生物を除く)は、生物を生かしもするし、殺しもする。
自然には「残酷」とか「情」という価値観ではなくて、
もっと別の次元で不規則に動く存在なのではないか。
その不規則さこそが、自然の生きている証拠なのではないかとも思ってしまう。
「殺そうとして人を殺さない」「生かそうとして生かしてもいない」
自然にとって、生物の生死は無関係であり、存在意義にはならないのかもしれない。

自然が生物の思うように動くようになったとき、自然が死ぬ時なのかもしれない。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 祈り

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