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十七条憲法 第六条の解 安岡正篤 人生の大則より

悪を懲らし、善を励ますということは、古来の良い法則である。
役人は人の善い行いを匿すことなく、悪をみつけた場合はこれを糾明して、
再び悪をさせぬように救わねばならぬ。

おべっかをつかい、いつわりを言うようなことは国家を覆すに役立つもので、
人民を不幸な目に遇わせる鋒となり剣となる。

へつらい媚びる者は、上に向かっては下の者の悪口をいい、
下に向かっては、上の悪口をいうものである。
こういう人間は、君に忠節の心がなく、
また人民に対して、仁愛の心を持たない者で、国家大乱の本である。


人生の大則―人間学講話

人の善い行いを認め、世間の知れるところとする役人が居るとすれば、
その周囲の人々は善行に勤しむことだろう。
ただ、今の役人の仕事に、そうしたものを奨励する仕事はない。

役人は、決められた予算枠で、決められた仕事をする事を求められる。
新しい事を生み出す事は本来必要であるが、それを過度に行うことは歓迎されない。

十七条憲法では役人の仕事となっているが、
今の時代では「市民」が他者の善行に目を向けて世に広めていく役割を担っても良いのではないだろうか。

小さい事で良いと思うのだ。
朝早くから地下鉄の構内やトイレの清掃を行って下さる掃除係の方に、
「いつも朝早くから有り難うございます」と、一言声を掛けるだけで、
自分自身が日頃使わせて貰っている感謝を伝えられ、相手の仕事に意味を持たせる事ができる。

こうした気持の受け渡しが繋がって、殺伐とした世間に小雨程度かも知れないが、潤いが生まれるのではないか。


へつらい者の悪効として、上と下の気持の離反を招くとある。
自分の周囲に置き換えただけでも、数名は思い当たる。
残念ながら、自分の行為が大局で見るとマイナスにしかならない事に気づけない者が居る。
へつらい者は自己防衛の強迫観念の肥大によるもので、
「身を捨てて生きる度胸」を持たないと成長しない。

へつらいが良くないからといって、何事も諫言を呈すれば良いかというとそうではない。
君子人を相手に日常を生きているわけではないから、人間関係を円滑に行う為に、
リップサービスが必要な時はある。

ただ、上の者へリップサービスを行っても、自分の立場を守り高める為の部下を貶める事はしてはならない。
己の不徳を詫びる事はあっても、部下の失敗を進んで口にするような狭量な言動は駄目である。

下の者へのリップサービスは、その発言する人物が信頼されていれば、モチベーションアップにつながる。
だが、上の悪口で歓心をかおうなどとはしてはいけないし、そういう話題の時は距離を置くべきだ。

こうしていれば、上にも下にも隠すところが無く、その積み重ねで、発言が常に「真」を得るのである。

こうすれば、上下の間を取り持って、大きな仕事ができるようになる。
そうなっても、常に謙虚に振る舞う事が出来れば、一人前の器量人だ。
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tag : 聖徳太子 安岡正篤 十七条憲法

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