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眼識 安岡正篤 安岡正篤一日一言より

人間というものは妙なもので、
内省を深めるようになると中味ができてきますから、
自ら風采、態度が変わってくる。
即ち大分できてきたなということがわかる。

といってもわかるためにはこちらにも、
即ち観る方にも学問がなければならぬ。
学問をしなければ、人を観る目ができない、
識見・眼識が生じない。
あいつは財産がなんぼあるとか、
何の役をしておるとか、
いうようなつまらぬことは気がつくが、
人間そのものについては全くわからない。

しかし学問をして、それがだんだん身についてくると、
自然に本当のことがわかってくる。
つまり人を観る目が違ってくるわけです。
もっともしじゅうつきあっておると、
なかなかわかりませんが、
しばらくぶりに遇(あ)ったりすると、
これは大分勉強したとか、
あまり進歩しておらぬとか、
いう風に実に印象が新しくはっきり致します。
人に会うのも、そう言う意味でよい勉強になります。


安岡正篤一日一言―心を養い、生を養う
久しぶりに出会った人物が、以前とは見違える程輝いて見える場合も、
輝きが失われている場合も、こちらの眼識が磨かれたと思って良いと思う。

前者は、本人の努力によるものが大きいが、其れを見抜ける自分の眼識も上がっており、
後者は、自分の眼識が鋭くなった為に、相手の偽りを見抜くことができる可能性があるからだ。
人間の輝きは、心理的な動揺であったり、失望に影響を受ける。
其れによる輝きの喪失は別として、本人自身は変化した認識が無さそうなのに、
そして一見以前と変わらないのに、何故かくすんで見えてしまう。
これは偽りが見えてしまった時だと思う。

学問で観ることの出来る価値と、世間一般の価値では違う。
どちらを重視するかは、見る側に委ねられる。
それに一喜一憂するのも全てではないと思う。

自分にとって、「譲ることのできない価値」や「考え」に自信が持てるなら、
世間から脱却した価値観を持った自分を持っても良いと思う。
表に出さないまでも、中庸を守る基準とするなら害はない。

人間は還る位置を持たないと、不安定な状態になりやすいと思う。
これを自分以外に求める人は、いつまでも中庸という意味を理解しがたい。
陽明学の言葉を借りれば、己の良心・良知に求めていく姿勢が大切である。
良知が眼識であるとも言い換えられる。
思想によって言い換えられる物だが、多くの思想で同じ様な事は言われている。
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theme : 文明・文化&思想
genre : 学問・文化・芸術

tag : 眼識 安岡正篤 安岡正篤一日一言 人間学

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