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文武二道の侍… 前田利家 遺訓の一節より

文武二道の侍、まれなる間、分別・位よき者を見立て聞き立て、かやうの者は、新座にても情けかけられ、召仕ひ、もっともに候。

武道ばかりを本位としてはならぬ。文武両道をわきまえた侍は、めったにいないから、
その考え方や身分のよい者を見立てたり、聞き立てたりして、これを、新参者として、召使い、情けをかけてやるのはよい。


日本名言辞典 (1969年)
前田利家公の亡くなる頃は戦国末期であり、利家公が信長公に仕えた戦国乱世とは時代の様相が違っていた。
石田三成の最期を通じて、武功派の暴走を見てきた利家公の言葉だけに重さが違う。

自身も文武両道、家臣も文武両道の者が居れば新参者であっても引き立てて、
後の時代に即応した大名組織にせよという意味合いであろう。

こうした能力を「時機を観る力」と言う。
人間は変わろうとすれば変わる事が出来る、しかし、変わらない部分もある。
しかし、時代は否応なく変化を求めてくる物であり、其れに合わせていかなければならない。

普遍の物と、変化する物の両方が世の中には有る。
その両方を肯定してこそ、文武両道と同じくして、あらゆる世を生き延びる事が出来るのだとも思った。
たとえ自分自身が時代の寵児とならなくとも、もっと普遍的な物を認識し、その時代に求められる物もある程度身につける。
バランス人間とは、そう言うものでは無いだろうか。

人間というハード(器)は普遍だが、時代というソフトは変化が激しい。
ソフトを意識しつつもハードの存在も疎かにしない事が肝要であろう。

theme : 戦国時代
genre : 学問・文化・芸術

tag : 前田利家 遺訓 文武両道

comment

Secret

文武は、二道にあらず、二つで一道

 「文武二道」という発言が、いみじくも物語っているのは、頭段階でさえも、未だ道を理解できていない、ということです。
 頭で理解できたにせよ、それを血肉にしなければ意味がないのですが、「文武二道」という発言に、すでにまだまだと言えるわけで、問題ありと言っていいのです。
 心底から道を求めなければ、いつまでたっても、見えてはきません。精進ください。

文武一体という事でしょうか

ご教授賜りまして、誠に有り難うございます。
文と武も表裏一体なのでしょうか。

まだまだ駆け出しで理解も乏しいですが、精進したいと思います。

>  心底から道を求めなければ、いつまでたっても、見えてはきません。精進ください。

肝に銘じます!コミックの叩き台が31歳までできました。
自分で作ろうとすると、内容を頭に入れないとできないので、大変良い勉強となっております。

私の陽明学理解は、確実に深化しています。

王陽明の『伝習録』でも、陽明が、幾度となく、弟子をたしなめるシーンがあります。
 文と武、知と行、幸と不幸、生と死といった、あたかも対立するかのような二つの事柄(物や物事)は、 別々に存在し、対立しているのではなく、もともとひとつだ、ということなのです。
 『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』でも、そのことを説いているのです。
 そして、やっかいなのは、頭で分かっても、もちろん分からないよりましですが、身体でわからないと実際のところ意味がないということです。
 私自身、20年前より15年前、15年前よりも10年前、という具合に、陽明学理解は、より確実に深化しています。
 そして、その実感を、言葉で伝えるのは、なかなか大変なことなのです。
 それは、私が、まるで損得で生きていないという事実から、まずは理解していただく以外に手がありません(笑)。

書き込み頂き、有り難うございます。

林田 先生

> 王陽明の『伝習録』でも、陽明が、幾度となく、弟子をたしなめるシーンがあります。
>  文と武、知と行、幸と不幸、生と死といった、あたかも対立するかのような二つの事柄(物や物事)は、別々に存在し、対立しているのではなく、もともとひとつだ、ということなのです。

これが、頭と体で理解できていないと、言動の端々に不一致が生まれてしまうのですね。
最終的には、書物や師匠の指摘を受けずとも、自分の良知に従って、間違いない判断が出来る様にならなくてはならない。
まだまだ、第一段階の、知識を自分の物にする努力が必要です…。
二極同一は先生が普段から仰有る事で、それが徹底できていなかったです。

>  『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』でも、そのことを説いているのです。
>  そして、やっかいなのは、頭で分かっても、もちろん分からないよりましですが、身体でわからないと実際のところ意味がないということです。
>  私自身、20年前より15年前、15年前よりも10年前、という具合に、陽明学理解は、より確実に深化しています。
>  そして、その実感を、言葉で伝えるのは、なかなか大変なことなのです。

その実感は「実践」を通してでしか味わえないのでしょうか。
先生は韓氏意拳を通じて、体での理解を深められたという事ですが、
無理のない体の使い方を日常で心掛けていれば同じ効果が得られるのでしょうか?

まだ読み込みが足りないので、『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』をもう一度読み直します。^^;

先生は確実に深化されているのですね。
日常が、私とは全く違い、意識をして生活をされてきたから、一日一日が深化に繋がるのでしょうか。
でも、凡人の私には、究極の所まで徹底できていないのが恥ずかしい。
しかし、できる限りで深化したいと思っております。

>  それは、私が、まるで損得で生きていないという事実から、まずは理解していただく以外に手がありません(笑)。

先生の徳業は、普通の人では到底及びません。ご家族もご立派です。

私には、先生の諸徳を実行できるかと問われても、真似出来ないと思います。
自分の器の小ささが、その背負う物の大きさに耐えられないと分かっているからです。

しかし、今は敢えて、他の思想にも溺れてみたいです。
雑食をやってから、元へ還れる様に。そして、他の価値観も理解できる様に。

瓠洲
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