スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心の支えお龍-危ないときに助けてくれた女性 坂本龍馬 龍馬語録より

乙女、おやべ宛て・慶応元年(1865)九月九日

 私のあよふき時よくすくい候事どもあり、万一命あれバどふかシテつかハし候と存候。此女乙女姉をして、しんのあねのよふニあいたがり候。乙大姉の名諸国ニあらハれおり候。龍馬よりつよいというひよふはんなり

(私が危ないときによく助けてくれたこともあり、もし命があればどうにかしてそちらに遣わそうと考えております。この娘は乙女姉さんを本当のお姉さんと呼んで会いたがっております。乙女姉さんの名は全国に轟いております。私より強いという評判ですよ)


龍馬語録
 誰を隠そう、乙女姉さんの強さを広めたのは龍馬以外は考えられないのに冗談のキツイ弟・龍馬だ。

 薩長同盟の頃、寺田屋にて幕府方に襲撃を察知した於龍さんは、風呂から飛び出してきて龍馬へ幕吏が迫っていることを告げる。その際、龍馬は長府藩士・三吉慎蔵と共に寺田屋を脱出、傷を負った龍馬を材木小屋に隠すと単身薩摩藩邸に走り、救援を要請して龍馬の命を助ける。その、三吉慎蔵の息子、米熊(寺田屋事件当時6歳)は『蚕糸業の先覚者』として上田城跡公園に胸像が建つ程の上田市の偉人となる。

 龍馬死後、三吉慎蔵が面倒をみていたが、1868年3月には於龍を土佐の坂本家に送り届け、坂本家に身を置いたがまもなく去る。生来のきままな気質が坂本家に合わずに家を出て、転々とした後に30歳のとき旧知の商人西村松兵衛と再婚した。

 では、於龍さんの龍馬さんと出会うまではどんな人生だったのか?

 1841年、医師の楢崎将作の長女として生まれた。父の将作は井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、獄死している。このため、お龍と母、そして幼い4人の弟妹は生活に困るようになり、お龍はそれを養うために旅館・扇岩で働いた。

 しかし間もなく旅館を辞めて天誅組残党の賂いとなる。しかし天誅組が幕府の追討を受けると、各地を放浪するようになった。このとき坂本龍馬と出会い、龍馬から自由奔放なところを気に入られて愛人となり、その世話を受けて寺田屋に奉公することとなった。(Wikipediaより)
(中略)
龍馬と同じく土佐藩士だった佐々木高行は、お龍のことを「大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。ただ、悪人でないことは確かである」と評している。(Wikipediaより)


 芸妓の様に、教養も芸も身に付けた才色兼備の女性というタイプではなかったようだが、美人ではあったようだ。恐らく、世間の女性の評判という物は、愛した男の前で見せる姿と、乖離していてもおかしくはない。龍馬にとっては、居心地の良い女性であったのは間違いない。於龍の龍馬との束の間の時間は、彼女の65年の生涯で忘れることの出来ない時間であったのである。それが事実であれば、それは晩年がどうあれ、価値のある生き方と言えるのではないだろうか。まぁ、於龍さん自身にあの世で問うてみなければ分からないが…そう考えた方が、精神衛生上良い。

 龍馬が愛する女性のタイプは様々だが、龍馬は人物眼がある。きっと、それぞれの女性に美点を見出していたのだろう。しかし、一歩間違えると、その人物眼は浮気性の難点ともなり得るので注意すべき点でもある。ただ、龍馬さんの場合は、全て両思いだから実にモテる!

にほんブログ村 歴史ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ
関連記事

theme : 文明・文化&思想
genre : 学問・文化・芸術

tag : 楢崎龍 於龍 お龍 坂本龍馬 寺田屋事件 三吉慎蔵

comment

Secret

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カテゴリー
荒野の一匹羊の会
心は狼にまではなれないけど 一人雄々しく高野に佇む一匹羊の魂。 決して群れに留まることを良しとせず 己の未来を見据える。 そんなクリエィター魂を持つ人間の異業種交流会。

ブログランキング
関連するブログを検索できるランキング参加中です。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
 

最新コメント
縁尋機妙 多逢聖因
此のサイトが誰向けサイトなのか識別不可能なリンク集ですが、みんな私の琴線に触れたサイトです。闇サイトは一切御座いませんので安心してクリックして下さい。(笑)
タグランキング30
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。