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評論→「否定と批判」の混同

 評論とは、「物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。」
 
 否定とは、「そうではないと打ち消すこと。また、非として認めないこと。」

 批判とは、「物事に検討を加えて、判定・評価すること。人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。」

 さて、これらの言葉の違いは明白で、評論から転じて、否定批判に移行していくのだが、近頃は否定する人間が多い。
 否定とは、認めないことであるから、本人が実体験で経験していない可能性があり、なんの努力や知識が無くとも出来てしまう。一歩間違えれば、安易な軽薄な行為になりさがる。その説得力は皆無で、むしろ、其のゴタクを並べるのは格好悪いものだ。

 しかし、批判は違う。否定に比べて、能動的であり、真剣に向き合う姿勢が存在する。しかし、「批判する」という言葉の意味を間違えて、アンチな事として片付けてしまっている様な気配がする。批判には、事象に対する真剣な考察と判定・評価、そして直に指摘し正そうとする姿勢が観られる。批判からは、新たなる可能性や見解が見える事がありうるのだ。

 評論は、評論のみで止めては無意味な発言に過ぎないし、否定は意固地な態度にしか映らない可能性があり、批判も行動を伴わなければ、偽物であるのだ。

 これらを行う際には、言葉の真意を知った上で、大人の責任を持って行って欲しい。

 何故、こんな些細な問題を取り上げたかというと、インターネットの世界では、自分で汗を流して行動をしていないにも関わらず、下品な言葉で人の行為を蔑んだり、馬鹿にしたりする人間が存在する事を知ったり、評論家という言葉に、創造性を感じない風潮が流れている為に、敢えて取り上げた。名乗るなら責任を果たせと。大人なのだから。

 結局、問題に直面するところまでは同じでも、其の後の行いで、一流か、二流か、はたまた三流か、土手か違ってくるのだ。物事に接するときには創造力を働かせて発言をしたいものだ。それが、現状では絵空事の様に見えたとしても、何も付加価値のない発言に比べれば多いに意味のある行為だと私は思う。

 坂本龍馬氏などは、きっと、活動初期の頃は、彼の思想が絵空事の様に思われていたのかも知れないが、結局其れを否定した人間が三流と後で分かった。そういう歴史的事例もあることだし…。其れを見抜けた勝海舟や、西郷隆盛、桂小五郎が日本を転がしたのだ。その時、勝を異端視した幕臣の多くはどうしていたであろうか。

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tag : 言葉の意味 人間学 生き方 批評家 否定 批判 意味の違い 創造 坂本竜馬 勝海舟

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