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「神を有らざれる人は・・・」 内村鑑三 求安録より

神を有せざる人は、巨人にして小人なら。富貴にして赤貧なり。

神を信仰しない人は、たとい、かれが歴史上の偉人であっても、要は小人であり、
いかに富貴であっても、赤貧洗うがごとき、心のまずしい、あわれむべき人間である。
そのことは、人類六千年(彼は基督教なので天地創造から換算して)の愚かしい歴史が教えているが、
なおも、多くの権力者たちは、兵備、または法律の力によって、安心と満足を得ようとしている。
それは、所詮、無駄な努力にすぎない。


求安録 (岩波文庫 青 119-7)
 救済こそが最終目的であるので、人として権力や軍事、金銭により安心感を得ることでは、
最終的に人間を救うことができないと説いている。これを哀れむべき存在として捉えるのは基督教らしい。
東洋的に捉えると、俗の概念も包括して人間を捉えるのに対し、対極として捉えるのだ。
しかし、上の概念に取り憑かれると、自分で自分の精神を苦しめる結果、人格崩壊をきたしたり、
人に対して猜疑心を持ち出し、最悪相手を殺してしまったり。よく、西洋人の描くオペラに出てくるシーンの様な。

 神の信仰の目的が、幸せに毎日を送ることと、天国へ導かれることであるとするなら、
日々の生活に満足して、他を利することを忘れず、人間以上の敬うべき力の存在を認め、
人間の愚かしさを知る。教義自体は、健全である。儒者から見ても。

 しかし、基督教の不憫なところは、時の権力者や地方によって解釈が変わっていき、
それが元で、カトリックとプロテスタントの争いの様に、本来は望まれぬ副産物まで生んでしまったことや、
悪用されて、他教徒を虐げた歴史が生まれてしまったこと。

 これは全て、宗教が考えて行ったのではなく、人間によるものだ。
だから、基督教という概念を否定するのはお門違いである。
責めるのなら、捻じ曲げた人間が責を負うべきだ。

 儒教も、枝分かれをしていき、朱子学、陽明学など分かれていった。
乱世では儒家よりも法家が重用され、迫害されることもあった。
しかし、これも儒教が行ったわけではないし、法家の思想自体が行ったのではなく、
それを用いた人間がした行動である。

 結局、宗教や思想は、生かすものの力量で、人を幸せにもするし、
人を不幸にもするという法則は、東洋西洋過去未来と変わらないのだろう。

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theme : 文明・文化&思想
genre : 学問・文化・芸術

tag : 内村鑑三 キリスト 基督 生き方 人間学 メソジスト 求安録

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